「回復させる主の呼びかけ」  03−05−18
               ルカ8:26〜39

 主イエスとの出会いによって、人は正気を取り戻し、本来の自分の
いるべき場所を知り、本当の自分として生き始めます。
 聖書に登場するその人もそうでした。彼は、主に出会うまでは、
墓場に住んでいました。つまり、死に縛られ、死の上に住んでいた
のです。その意味で、すべての人間の代表ともいえる人です。
死の上に生きている彼は、本来の自分を保てず、我を見失って
いました。不安によって、じっとしてはいられませんでした。
周りの人も、それを静めることはできませんでした。
また、墓場に住むのは、生きている実感が持てないでいる人間の
代表でもあります。自分の存在の意味が見出せず、満たされず、
飢え渇き、もがくようにして過ごしているのは、この人だけのことでは
ありません。さらに、この人は自分の名を聞かれた時に「レギオン
(大勢)」と答えます。自分自身がいないということです。
自分として生きられず、大勢に振り回されるように生きているのです。
そのことによって、潤いの地ではなく、荒れ野に進んでいるのです。
これも、多くの人が陥る問題を代表している姿です。

 そんな人のところに、主は湖を越えて、やって来られたのです。
そんな私たちを救うためです。私たちが墓場の上で生き、自分を
失い、荒れ野や滅びに突き進まなくても良いようにするためにです。

 その人は、主イエスの足もとに座って、正気になっていました。
墓場でなく、そここそが人が正気になる場所です。そこは、復活し、
死に勝利された方の足もとです。それゆえ、そこでは死に縛られない
のです。
 また、取るに足りない私を愛し、十字架で血を流してくださった方の
足もとです。そこで、自分が軽い存在ではなく、尊い、意味深い存在と
みなされていることをはっきり知らされます。
 そして、大勢に振り回されるのでなく、その方と共に、その方に従う
自分として生き始めるのです。

 私たちは、主イエスの足もとで、本当の自分を回復させられて
行くのです。